おかあ・改田友子。本気自己紹介-Part①-

おかあ本気自己紹介
Part②から⑥はこちら

=Part①=

Part①は
読む方によっては
重いよ!暗いよ!
不幸自慢か?お腹いっぱーい!
ともなり得る話です。笑

でも
今の私の形成のもと

私がこどもたちに関わる上での基準
となっているのと
全ての経験が今に繋がっている
全ての経験は自分で選んで地球に来てる

寸分違わないこの地球の
全てに感謝

そう捉えているので
敢えてぜんぶ書きます。

=Part①=

昭和52年5月2日
東京都の下町
足立区の北千住に生まれました。



※画像はお借りしています

私を産んですぐ母は
精神的に不安定になったようです。
(今でいう産後鬱だと思う)
(でもACループかも。後述)

父は教職で忙しく
且つ木村家に婿にきた
という大人の事情もあったため、
「育てる人がいない!預け先もない!」
日中は主に祖母と叔母が
私を育てました。
夜は祖父と祖母と私
3人で一つ屋根の下。
父と母は近所に住み
毎日私の様子を見に寄っては、
2人で帰っていく。

小6のとある日曜日。
みんなでサザエさんを見ていて
「なんで私はパパとママと
暮らしてないの?
今日から一緒に住む!」
と急に祖父母の家を出るまで(↑実話)
そんな生活をしていました。
(母の体調不良で祖父母の家に戻ったり
私が一人暮らしを始めたり
父母と3人で暮らしたのは
結局3年くらいだったけど)

ちなみにこういった事情は
私が30歳になり
自分のルーツについて
叔母に問うまで
家族からは一切知らされませんでした。
ヒミツにしたかったのかなぁ…

おかあ
おかあ
この祖父母の家がのちのcotoca本店になるのです

祖母は
一人っ子で初孫の私を溺愛。
大事にだいじーに育てるあまり
「ハサミは危ないからだめ」
「すべり台は危ないからだめ」
「男の子と遊んじゃだめ」
「あの子と遊んじゃだめ」
「うちの子伺ってませんか?℡☎︎」
禁止・制止・先回りして
監視・管理。
温室育ちの箱入り娘として
私を扱いました。

おかあ
おかあ
社会の煩わしさに敏感なのはこの影響が大きいと思う。笑


※写真はイメージです

また、母と叔母(母の妹)の時の
子育てと私を事あるごとに比較し
「友ちゃんは普通じゃない」
「友ちゃんはわがままだ」
「友ちゃんは育てづらい」
こどもである私本人に
面と向かって
いろいろと言っていました。苦笑
個体差があるのは当然だし
こどもは自己を主張して健全だし
母たちの頃と私では
30年近く時が経過していて
時代も考え方も
変わってると思うけどね… 苦笑

おかあ
おかあ
「普通」ってなんだ?いちいち考え自分の感覚を重要視するのはこの影響が大きいと思う。笑

そんな経緯もあり
幼少期は極度の人見知り、
消極的で怖がり。
「これやりたいけどだめかな」
「これは “普通のこと” じゃないのかな」
「やったことないからどうせ下手だし…」
自分の判断に自信が持てないから
自己肯定感が低く
常に他人の目が評価の基準。

そうそう、
言葉や態度による心の拘束
だけじゃなく
現実的にからだも拘束。
60代だった祖母が
0歳の赤ちゃんを育てるのは
大変だったと思いますが、
「あちこち動いて目が離せない」と
日中私を段ボールに入れていたとか…
文字通りの箱入り娘。笑
あ、フタはちゃんと空いてます。笑


※写真はイメージです

全身感覚器、
頭の先から足の先まで
ひとつひとつの動きや経験の獲得が
重要な乳幼児期
ソレじゃあ… …  …
あぁ、カワイソウな私。笑

乳幼児期の正常な発育不足
(Part③に詳細明記)
もあるのでしょう、
とっても運動神経が悪く
小中高と身体的なコンプレックスも
相当強かったです。

おっと、さらにさらにアレなのですが
料理が苦手な祖母は
幼児期の私に
ファーストフードや
コンビニ食や
冷凍食品を
毎日の主な食事として
提供
していましたね…

祖母にとって
新時代・コンビニの普及は
簡単!便利!!
自分の不得手もごまかせる!!!
大変な育児において
まさに救世主のような存在、
だったはず。笑
3歳までは腸がつくられる
一生に関わる大事な時期
だというのに…
あぁ、カワイソウな私。笑
(Part④に詳細明記)

おかあ
おかあ
妊婦な私と新生児の娘に治らない湿疹ができ、結局生活改善できたのはこの影響が大きいと思う。笑

しかし祖母は祖母なりに
必死で一生懸命
「母から預かった孫」を
大切に慈しんでくれていた。
祖母の死後、大量の日記が出てきて
かわいくて仕方ない
(+手が掛かって仕方ない)
私のことを毎日書き綴っていた…
私の将来を超!心配しながら
“そういう視点”で私と関わるのは
大変だっただろうな…

でもまぁ、私がいま娘に対して
取り組んでいる子育てとは
それはそれは真逆なんだけど。笑
「反面教師」というものを
身を持って伝えてくれた訳です。苦笑

…なんかごめんね、おばあちゃん。
全部書いちゃって。
私が経験したこと、
重要なことがいっぱいだから
他の人にも共有させてもらったよ。

…はい。
ここまで長かったですね〜!
よくぞ読んでくださいました!!感涙

それなのにまだPart①ですね…
よかったら
Part②
https://kaida-san.net/92/
以降も
いつかご覧ください。

きっと損はさせません!!!笑笑

-おかあ(改田友子)より-

【改田さんち】
宮崎県延岡市北浦町
東京都足立区千住
https://kaida-san.net/

改田家の想いと本店の歴史
https://cotoca-senju.jp/past_about/

#改田 #こそだて放浪
#宮崎 #延岡市
#cotoca #コトカ
 #トゥクトゥク #TukTuk
#こどもが主役
#たべものとからだ
#生きる力 #暮らしが学び
#こどもたちに手渡せること
#経験すること
#大人が考える
#子育て開業
#親子留学 #コロナ禍留学
 #ノーモア洗脳教育
#我ながら色々やってるな
#これからは
#自然農 #宿泊 #昭和体験
#移動販売 #お庭カフェ
#自然栽培 #無添加 #無農薬
#オーガニック #グルテンフリー
#アレルギー対応 #自然食品
 #固定種 #
# Small accommodation
# Experience for children
#Study abroad in Covid-19
# Japanese old style
#countryside of Japan
# Agriculture # Natural  #organic

改田さんち

改田さんち
改田さんち
2015年2月 結成
2018年4月 自宅を改装し
こどもたちのお店を開業
2021年4月 ヨーロッパの
マルタ共和国に移住(言語の獲得)
2022年1月 宮崎県延岡市で
「ないもの暮らし」開始(生きる力の獲得)

おとう:改田昌寛
おかあ:改田友子
子  :改田結(こども画伯)
https://kaida-san.net/

※青い地球マークのクリックで
サイトtopに飛びます

コメントを残す